ウールンガーデンの女性たち
冬の寒さから守ってくれるウール製品。その生産者の皆さんに想いを馳せながら身に着ければ、厳しい寒さもなんのその。
パタン市に工房を構えるウールンガーデンは、長年ネパリのウール製品を作ってくれています。あたたかく誠実なラヘシュさんは、いつも何度でもサンプルを快く作り直して下さいます。ニッターさんと共に、良い物を作ろうという意気込みが伝わってきます。ウールンガーデンのニッターさんたちの大地震後の状況を前回に引き続きお伝えします。(年齢や年数などは2017年11月の取材当時の数字です)
プルナ・ソバ・サキャさん (53歳)
首都カトマンズの隣の古都、パタンのダルバール広場近くに夫と娘、息子と暮らしています。夫婦で仏像の仕上げの研磨作業をしていましたが、夫は5、6年前から視力が低下し、2年前からは全く見えなくなり仕事ができません。プルナさんも右腕の手術をしてから腕に力が入らなくなり、磨く仕事を辞め編み物の仕事を中心にしています。夫の収入がなくなってからはプルナさんの編み物仕事と夫の弟の援助で辛うじて生計を支えてきました。プルナさん自身も心臓病と高血圧で薬を欠かせず、厳しい経済状況です。
そこへ、2015年春、大地震が発生し家が崩れそうになりました。プルナさんの家はパタンによくある伝統的な民家で、間口2メートル、奥行き5メートルくらいの狭く古い4階建。左右の隣家と壁を接していて、その支えで辛うじて倒壊を免れたのでしょうか。しかし、壁は下から上まで大きな亀裂が入り、レンガ壁部分は崩れ落ちています。次に地震があれば崩壊してしまうと思われます。政府の検査では居住不可と宣告されたものの、プルナさんに建替える力はありません。退去したくても借家家賃も払えず、少しずつ自分で修理をして住んでいます。政府が被災者に出した地震見舞金は簡単な修理をしただけで薬代、食費に使ってしまいました。日頃の僅かな稼ぎでは食費も薬代も十分ではありません。食べなければ生きていけない。病気では働けず、生きていけないから使ってしまったと。
編み物は25年くらい前に習得。腕がよく、頼まれては色々なところの仕事をしてきましたが、6年前からはウールンガーデン専属で編んでいます。代表のラヘシュさんが「ウールンガーデンはひとつの家族」と、働く皆を大事にしてくれるからです。ラヘシュさんはプルナさんのように腕のいいニッターさんにはオーダーがない時に在庫を抱えてでも仕事を出すなど、皆を大事にすることが結局、品質のよさにもつながると言います。
リニュー・サキャさん (64歳)プルナさんの夫の姉
プルナさん一家と同居。リニューさんは9歳の時に14歳の男性と結婚させられ、11歳で役立たずと姑に追い出されました。法律上の結婚年齢は女性18歳、男性21歳で、幼児婚は禁止されていますが、遠隔地ではまだ残っているところもあります。宗教的な儀式のものもありますが、貧しい家庭では女子は口減らしのために出され、男子の家庭は労働力としてもらうので、あまりにも幼かったリニューさんは期待された労働力にはならず追い出されたのでしょう。家に戻った後、両親から何度も結婚を強要されましたが、拒否して実家に住み続けています。学校には全く行けず、家の中で家事手伝いをしながら暮らしてきました。30年前くらいから手編みの仕事を始め、プルナさんと協力してウールンガーデンの編み物をしています。幼児の時に結婚したことはこれまで誰にも話したことがありません。